毛髪混入などの異物混入が問題になるのは、「それがあってはならない」、「混入を防がなくてはいけない」と社会的な要求があるからである。
普段の品質管理業務の役に立つ話ではないけれども、こういった考え方もあるという話を書きたい。
ソバの中に虫が混入していた話
昔の学生のころ、友人数人で街中で遊び、お昼にソバを食べたときのこと。
注文したソバがテーブルにやってきたので食べ始めた。少しすると友人が、自分の食べていたソバのつゆの表面に、コバエか何か小さな虫が浮いていることに気がついた。
友人は顔を歪め、ソバを食べる手を止めた。テーブルにソバが置かれたときには、すでに虫が入っていたして店員さんに苦情を言い、最後には代金の支払いを無しにしてもらった。自分が食べ始めた後に、虫が入った可能性もあったはずだが…。
小さな虫が入っただけなのだから、その部分だけをすくいとれば、食べられるだろうにと私は思った。ソバがもったいないし…。結局、その友人はなにも食べずにその店を出て、そのあと街で遊んだのだが、友人はお腹をぐぅぐぅ鳴らしていた。
毛髪や虫などの食べものに混入していた場合、日本ではこの友人のように考え行動をするひとが多いだろう。店員に文句を言うし、虫の入った食べものにはそれ以上、手を付けようとしない。
食品工場でつくった加工食品でも同じである。食品はそれ以上食べずに、食品の購入店やメーカーにクレームを出し、返品する。
西アフリカの食べ物の話
一方で、「食べものに異物の混入があってはならない」という強い要求が無い社会では、ちょっとしたものであれば、食べものの中に異物が混入しても問題にならない。自分で取り除いて食べるだけである(異物とは、食べものに混ざった食するひとの心身を害するものだ。そうなると、ここでは“異物”とも呼ばないのかもしれない)。
私は以前に乾季の西アフリカを旅したことがある。
マリ、セネガルといった国だ。
私が旅した時期は乾季ということもあって、緑の葉をつけた木々は見られるものの、地べたには緑のほとんど無い土地だった(この写真のように)。あまりに乾燥していて、砂が舞って霧がかかったようになることもあった。砂にまみれたカバンは、叩いても叩いても砂ぼこりが出てくる。目の中にも耳の中にも砂が入る。そのような環境だ。
ある村では、「今は乾季だからこのような環境だけど、雨季には緑の草に覆われるのだよ」と聞いたが、ここが緑の草に覆われる大地に変貌するとは信じられない、と思うような場所であった。
そういった環境で、口にする食べものはどうなるか?
街の屋台で飯を食べたときのことだ。素材が何の葉っぱなのかはわからないが、サラダをつくる屋台があった。これは美味しそうだと注文をして食べると、きちんと洗っていなかったのか、または洗ったけど砂埃がついてしまったのか、口の中がジャリジャリとした(サラダの中に砂が入っていた)。
卵焼きを挟んだパンを屋台でよく食べた。席について注文をすると、店主がテーブルに置かれた卵を割り、容器の中でコンソメと混ぜ合わせて、薪でおこした火を使って卵焼きをつくり、短いフランスパンに挟む。
これがなかなか上手いのだが、やはりジャリっと砂を噛むことがあるし、たまに卵の殻が入っていることもあった。
その国では、食べものの提供者で、こういった異物混入を気にするひとはいないし、食べる側も文句を言うひとがいない。ここでは消費者が「砂利が入っているじゃないか!?」「卵の殻が入っているじゃないか!?」と声を荒げても相手にされないだろう。
私も、現地の環境に慣れていたので、これらのことを気にしなかった。
社会によって品質管理の要求度が異なる
日本にいると想像がつかないが、食べものへの異物混入があっても問題にならない社会もあるのだ。西アフリカでは、異物混入防止の社会的な要求が少なく、食の提供者が砂や卵の殻の混入防止にそこまで気を使う必要は無いかと思われる。こういった世界では、品質管理レベルを上げて異物を混入させないようにしても、それは求められていないのかもしれない。
では、日本ではどうか?砂や卵の殻が食品に入っていたら問題になる。日本で求められる品質管理レベルは、世界の中でトップクラスになる。これから、品質管理の要求レベルが下がることはなく、少しずつ上がり続けていく。
品質管理レベルは、社会環境によって変わる。品質管理は、やりすぎても過剰品質になるし、求められていない管理を行っても労多く益なしの状態にある。
食品会社などの食品の作り手は、自身が属する社会から求められている品質管理レベルをちょうど維持することで、ムダな労力無しで社会の要求に応えられる。
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